沼のはずれでつつましく

お芝居の感想 2.5とか

2019 1/22 義伝の記憶

 さて映画刀剣乱舞の「次」
 鈴木拡樹さんの三日月宗近が好き!となれば、次に見るのは当然舞台刀剣乱舞ですわな。
 折しも映画公開記念、ふと見たらCSで放送してるじゃありませんか。よろこび勇んで初めて見た刀ステが「義伝 暁の独眼竜」でした。シリーズ2作目のようだけどいいよね、なんでもいいから早く見たい~!ってね。
 結果としてこの作品が、当時はぜんぜん合わなかったのでした。「え…?」「あれ…?」(ぽかーん…)

 いやいやもちろん、舞台で上演された演劇を映像だけ見て判断するのはまるで筋違いとわかってますとも。そこはさすがに観劇未経験だった1年前でもわきまえてましたとも。
 そうは言っても合わなかったのは事実。だけど鈴木さんの三日月をもっと見たいという欲も現実。「なんだこれ~なんなのこれ~」とぶつぶつ言いつつ、数日後に届いた虚伝初演とかわりばんこに見る日々がしばらく続きました。「いやなら見るな」は正論だけども、だって見たかったんですもん。
 それならそれで一体何が気になったのか。まあ今考えれば完全に理解力と基礎知識の不足でお恥ずかしい限りなんですけど、反省をこめて考えました。今では楽しく見てます。ええ。

 ・時系列、場面の転換についていけない
 はい!いきなりアホ丸出し~。でも実際わかってなくて(わかってないことにも気づかなかった)クライマックスの戦場から始まり、日を遡って事の発端を説明している…という構造がまったく読み取れていなかったのです。ここをようやく理解したのは夏に戯曲を読んだ時。わかってしまえばどうしてわからなかったのかわからないくらい基本的なことで「あ~~~~~!あー!あああああああ!」って手を叩きました。三日月だって言ってたのにね。事の次第を語るとするか、って。
 でもほら、複雑といえば複雑な作りじゃないですかあのお話。伊達の歴史という主物語と同時に本丸では山姥切と小夜の物語を進めて、さらに歌仙と大倶利伽羅に起きた出来事を伊達と細川の縁にからめて描くというね。

 あっ、あーそうか!
 義伝の気になるところその2は
・武将パートにまったく感情移入できない
 だったんですけど、これはそうか、歌仙と大倶利伽羅という刀剣男士を描く為の装置だったのか。なおかつ黒い甲冑という今後も戦うことになる敵を生み出すことにも使ってる。よくできた話だったんだ!そうかー!えうれか!

 や、だってだって、刀剣男士を見たいのに伊達政宗の葛藤を延々見せられるのこれどうなん?て思ってたんですよ。これが本能寺の信長ならわかるんです。不動であれ宗三であれもともと信長にこだわってるところも属性のひとつですやん?彼らが「信長とは何か」悩む姿は納得するんだけど伊達政宗。彼の葛藤は男士の葛藤ではなくね?て思って。
 でもそうか。
 やっと今納得いったかもしれない。

 さらに次
・日常パートも笑えない
 どないやねん!!!もう見るなや!!
 って、そこは自分でも思うわごめん。
 これはもう完全に刀剣乱舞の知識不足でした。知識以上に足りなかったのは愛?その時はまだ三日月以外に思い入れのある男士もなくて、姿と名前は知ってるって程度。誰と誰にどんな縁があって、どんな性格で…とかほとんど把握できてないのに彼らがきゃっきゃしてても乗れんわそら。映画はつくづく初見に優しくできてたんだなあ。
 一方舞台は理解の深さで殴ってきてたのだ。

 そうだあとこれも。
・三日月が別人
 話には聞いてた。聞いてたけど。外見からもうぜんぜんちがった。衣装だとかヘアスタイルとかもちろんそれらもトータルで。舞台メイクとカラコンが映像でアップになった時にすごく怖かったり。
 そんでやっぱり性格があまりに別人だったのだ。鈴木さんすごいのね!!
 映画の三日月で大好きなのが、審神者に向かってくしゃっとお顔を崩して笑う顔なんですけど、主に相当可愛がられてきたんだなあって。毛並みも良くて髪がさらっさら。ひとりで秘密を背負っているようで、鶯丸には明かしたように仲間と連携だって取れるのだ。なんて、なんてバランスの良い人柄。映画三日月大好き。
 そんなお姫様な映画三日月に比べ孤高のステ三日月。彼がひとりですべてを抱えこんでいるのは、「彼らはまだ弱い」という、他の男士への不信が根っこにあるからに見えます。審神者とも一線を引いて接しているような。うううー悲しいー。ステ本丸の審神者には物申したい~!


 以上が刀ステとの初エンカウント。義伝にはとても手こずって、反動ってわけでもありませんが、その頃は同じ頃知った「信長と蘭丸」をめっちゃ熱心に見てました。今宵ふたりでうつけよう~♪