沼のはずれでつつましく

お芝居の感想 2.5とか

ことのおこり(前夜)

 どもどもこんにちわ(「わ」はわざと)
 お芝居等の感想ブログをやるならここはてなかなと思って始めました。といっても全通なんてとんでもない、月に1、2度お芝居見るだけのゆるーい感じ。誰も見ない代わりに燃えることもないだろうから気楽にあれこれ書いていこうと思います。

 や、というのもですね、こんな程度のペースとはいえ、定期的に舞台を見るという生活が完全に未知の世界でね!さらに特定の俳優さんを応援するという行為もまた。親に「まさかあなたが…?」と絶句されるくらい。
 そもそも自分はアニメやマンガのキャラクターにやたら入れ込むタイプのめんどくさいオタクなんですわ。基本的には今もそう。ハマるのはあくまでキャラクター、演じる声優さんにもこういうハマり方はしたことないのになあ。好きな声優さんは何人もいるし、その声目当てに作品を見たりももちろんするけどそれとこれとはまるで違う。
 なにがどうしてこんなことに。いや、きっかけも経緯も明らかなんだけど、自分の心だけが不思議。
 というわけで、我はいかにしてこのようになりしか。整理しがてら振り返ります。


 さて昔話モード。2018年暮れのことじゃった。
 それまで10年以上遊んできた作品の、おそらく最後になるであろう花火を見届けたのが11月。やりきったーっていう満足と、爽やかな寂寥感をおぼえつつ、(まあしばらくは祭りもないし色々インプットしていくか~)ととりあえずちょっとでも気になった映画をなんでも見ていくことにしたのです。
 今にして思えばそれほど本数も見ないうちに年も明けて、まったく、なーんの思い入れもなく、かるーい気持ちで見物に行ったのが映画「刀剣乱舞」でした。ぼちゃーん!

 当時の感想がこちら

 “先日映画刀剣乱舞を見てきました。
 や!たたたた楽しかった~!!
 面白いという評判を聞いてから行ったので、「ファンのひとはこれ大喜びだろうな~」っていう感想をあらかじめ用意して見に行ったんですけども。
 それがどうしてどうして。ふつーに楽しんでしまいました。
 いや、うそ。さっそく家族を連れて2回目行ったし、パンフが品切れだったので特集してる雑誌を買ったり、さらにはスマホに本家ゲームのアプリ入れたり…。
 これけっこうハマっているのでは?(゚∀゚*)

 やーでもほんとにおもしろかったですよ。とにかく画面が本物の時代劇っぽくて。セットや小道具どこを見ても悪い意味の安っぽさが少しもないの。
 悪くない意味の安っぽさというのは、歴史改変怪人やきらびやかな刀剣男士が時代劇に出てくる…みたいな意味です(笑)もちろんそれはこの映画においてはなにも悪くない。
 昔あったような気がするんですよね。伝奇SF時代劇っていうジャンルの映画が。大河みたいな歴史ものじゃなくて、最近よくある名もない武士にスポットをあてた渋い物語でもなくて、忍者どーん!妖術ばーん!怪獣も出てきて特撮満載~!みたいなの。
 もちろん刀剣乱舞の一展開として…っていうのはあるとして、この映画って最初からそういうの…「SFエンタテイメント活劇」を目指して作ってくれているのかなーと思いました。
 そう、既存の刀剣乱舞ファン「だけ」をターゲットには、していない気がするんです。すごく間口が広いの。
 ファンへの目くばせというか「こういうの好きでしょ見たいでしょ?」っていうサービスをそれほど感じなかったもの。
 ちょうど映画の公開にあわせて舞台刀剣乱舞を放送してたので見てみたんですけど、光忠さんのお料理コーナーとか、三日月や鶴丸のおどけた掛け合いとか、それこそ(ファンのひとはここ楽しいだろうな~)ってシーンがたっぷりあって、でもそういうのをこの映画で長々とやられたらやっぱり苦しかったと思うの。少なくともダンナは誘いづらかったかも。

 ストーリーでいうと、お話の仕掛けがとても見事でした。歴史ミステリー?ていうのかな。
 種明かしをされて「腑に落ちる」瞬間の快感がすごい。これまでちゃんと系統だてて見てはいなかったので、なるほどこれが小林靖子さん(脚本)の芸風なのかーとはじめて理解しました。そういえばどの作品もそういうコペルニクス的転回あるある。
 あと、細かいことですけど、こんのすけをばっさり出さなかったのは英断じゃない?(いや出てたっちゃー出てたけど)CGでやるにせよぬいぐるみにするにせよ、この映画の画面のトーンにはギリギリ合わなそう。
 それからね、それからね。
私実写銀魂の1作目で、似蔵さんが最期に桜吹雪になって散る演出が大好きなんですよ。この映画でも桜舞う舞う!景気よく舞い散る~!かっこいい!桜吹雪の舞う様ってとくべつなものがありますね(´∀`)好き♡

 しかし。しかしながらですよ。ここまで書いたのはこの映画がわたし的に「ダメではなかった」というだけのことなんですよ。そんなくらいで雑誌買ったり3回目4回目見に行く算段したりしません。
 映画の面白さとは別に、なんか、あの…。

 三日月宗近がめちゃくちゃかっこよかったんです…(ばたり)

 なんだろう。たぶんですけど、おそらくこの映画は「群像劇」の手法は一切採ってないんですよね。人気の刀剣男士は他にたくさんいるんでしょうけど、この映画においては三日月宗近という存在が厳然たる主人公なんですね。
 他の男士の知らないことを唯一知ってて。
 ゆえに暗躍とも思われてしまう独断専行にはしりがちで。
わけあって他の者達に真意を明かさず。
 自分ひとりがすべてを背負って犠牲になることもいとわない。
 それというのも年経た自分よりも若い者達を生かすべきという達観があるからで。
 そして飄々ととらえどころのない人となり…

 …ここまで箇条書きで挙げたあたりで、うちの人には先回りして言われましたけどね。「だからって銀さんとは違うからな」
 いや銀さんじゃん!実質銀さんじゃん!!!
 三日月宗近かっこいいよおぉぉぉぉぉぉぉぉ(ごろごろごろごろ!!)

 まあ銀さんというのはおいといて、つまりはこの作品世界における「かっこいい」を惜しみなく一身にそそがれている存在ってことですよ。結果として両者似通うのだ。そういうことなのだ。

 それにつけても三日月宗近かっこよかった…。
 あぐらをかいて、こぶしを床につける武者風のお辞儀がまずもうかっこいい(それ映画のかなり最初のへんや)
それに声がいい。徐々に鳥海さんの声が上書きされつつあるくらい。
 ものをとるときに反対の手でたもとをすくう所作がいい。
 クライマックス、織田信長に引導を渡した瞬間。(この映画さいこう…)ってなりました…さいこう。
三日月だけが知っている「真実」というのがこの映画にはあるのですが、それを「聞いて」知っているのではなく、「己が見ていた」というのがまた特別。
 にこやかなのにとても遠くて、どんなに好意を示してもにっこり受け流されてしまいそうなもどかしさが苦しい。(妄想スイッチも入りかけています)

 唯一ネタバレですけど「昔は自分が愛でられたいばかりで…」ってセリフがあるのね。「でも今は自分の他に守りたいものができてしまって」(ちゃんと覚えてないけどだいたいそういう意味の)
 過去の自分をそうして振り返れているところもいいし、数百年前、自分が愛でられて得意になってるお姫様な三日月宗近を想像するのもまた楽し…。はわわ!

 そんなわけで途中からは完全にこっちの事情でしたが、映画刀剣乱舞おすすめです”



 いやもう自分で自分が信じられない。こんなに好きになってしまうなんて。実際コラボ映画泥棒の時点では(コスプレwwwwww腹いてぇwwwwww)て思ってた。すまん。
 それが映画を見終えた時にはミカヅキムネチカしか言わない人に。しかもその三日月宗近とは、あの映画で見た、鈴木拡樹さん演じる三日月なのだ。

 これこの後も時々感じるんですけど、アニメにおけるキャラクターと声優さんの関係より、2.5におけるキャラクターと俳優さんのほうが分かちがたく密接というか、自分が惹かれたのが三日月宗近なのか鈴木拡樹さんなのかぜんぜんわかんないの。三日月であり鈴木さんなの。
 俳優鈴木拡樹さんと、刀剣乱舞のキャラクターである三日月宗近、どちらが先でも深くでもなく、どっちもが好き。
 そしてその瞬間目の前にひらけた世界の広大さよ。
 それまで好きになったものって、たとえばみんながよーいドンで見始めるTVアニメであったり、連載開始から読んできたマンガであったり、基本的には必要な情報をほぼほぼ踏まえておくことが可能なものばかりだったんですよ。
 それが今回、鈴木拡樹さんと三日月宗近の背景には途方もない量の蓄積があるわけ。過去作を追うことはある程度できても、円盤に残ってる以外の公演や雑誌他のインタビューなどなどを網羅することは不可能でしょ。一方三日月の背後にもゲームの他に「歴史」というさらに深き沼が。
 この圧倒的な「遅れ」な!間違っても私ごときが「知ってる」「詳しい」なんて到底言えない世界!
 それが逆にめちゃくちゃ居心地いいの。周りのみんなが自分より先達、解釈が違うなら相手が正しいの。ここでは戦わなくていいんだ。

 そうして鈴木さんと三日月を謙虚にお勉強していく日々が始まったのでした。